
「当たり前」という奇跡。
インスタからの引用ですが、改めて毎日の尊さを実感したので、ブログに残しておこうと思います。
先週、家族同然だった友達が突然亡くなりその一週間後小さい頃から可愛がってもらってた叔母が去年はとても元気な姿だったのに病気で入院していることを知り、もうご飯も食べられず起き上がれない状態なので最後のお別れのつもりでお見舞いに行ってました。
なかなか心のダメージが大きい事が重なって頭の中の処理が全然できなくて、日にち感覚も良く分からずあっという間に日々が過ぎていて、ただ一番悲しいのはもちろん私ではなく本当の家族であって…。
他の仲間も次の日から頑張って仕事に行っていて私もいつも通りに過ごそうとなるべくしたかったのですが、飛んで帰ってきたので機材が揃わずだったり、用事もしたりで作業ができず、当時は手直しをしようと思ってたんだけど、持ってきたものがマイクもイヤホン付属のもので仕上げることに。
友達の知らせを聞く直前にRECしてた曲。
2月公開の映画の主題歌なんですけど、偶然にも重なる歌詞で…。
別にこんな重い内容を書く必要は無いし普通に何事も無かったようにすればいいのかもしれないけど、私は自分が感じた事を残したいと思ったから。
特に、今回の友達の事で強く思ったのは生きるということ。
私は自分の大切な人が死んでしまうのが怖くて、想像しては涙を流したりしてたけど、自分が死ぬことに関しては自分が悲しいわけではないし、あんまり重く考えてなかった。
それに、私が死んでもまぁみんなその後楽しく生きて行くでしょう。それに生きているのは辛いことも沢山あるから頑張って長く生きなくてもいいかも。
とも思っていたけど、棺の中を好きなものでいくらいっぱいにしてもらっても生きていなくちゃ美味しいと思えないし、味わえないし、こんなにたくさん友達が集まっても家族が集まっても話すこともできない。
それに周りは本当に悲しかった・・。なんともないことなんてありえない。
会いたい人には会わないとまた今度はないかもしれないし、嫌な事を続けるほど人生に時間はないし、全ての当たり前は当たり前なんかじゃないという事。
「生きたい」
と思いました。
それに自分には大切に思う仲間と、自分の事を大切に思ってくれる仲間がいた事、離れていてもあまり会わなくても誰かと誰かがケンカしてても絶対に切れる事のない繋がりがある仲間がいる事、めちゃくちゃ実感した。
後悔をあげればキリがなくて、伝えたいことも今度また会えるかなと思って伝えられてなくて、話したいこともあったし、行きたいところもあった。
だけどそんな時間は返ってこないし、私よりももっと悲しい友達もいるし、ずっとくよくよしてるわけにはいかないから。みんなで泣いて笑って励まし合う約束をして、同じ経験をしてる仲間がいると思うだけで心強いし、ありがたいなと思った。
みんなみんな、どこかで当たり前に80歳くらいまで時間があるとなんとなく思っていて、友達は30代、おばちゃんは60代。
何があるか分からないからこそ、毎日を大切に生きたいなと思った。
ひとまず今は実家で旦那さんも両親も友達もいるし、普通に笑って美味しいもの食べて楽しいことをしています。
インスタでも動画載せたらふっとその友達から”いいね”が付かないかなって思うくらい実感がなくて、まだお別れの言葉もありがとうも言えないけど、いつか会えた時はお話がしたいな。
全然まとまりのない文章だけど、ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。